大判例

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大津地方裁判所 平成3年(わ)343号 判決

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(認定事実)

第一  被告人の身上及び経歴など

被告人は、昭和二六年二月三日熊本県芦北郡において調理師の父B、母C子の二男として出生し、昭和四二年三月に中学校を卒業した後は熊本県内を中心に調理師等として稼働し、闘犬の土佐犬の飼育を趣味にしていたが、昭和六〇年ころ大阪へ出て働くようになり、さらに平成二年七月当時には岐阜県内で土木作業員として稼働していた。

被告人の実兄Dは、昭和二三年八月二五日熊本県芦北郡において出生し、昭和三九年三月に中学校を卒業した後は東京都内や愛知県内などで稼働していたが、昭和六一年ころ以降は、熊本県内において、内妻であつたE子とともに、料理仕出店ついで古物商を順次営んだところ、暴力団関係の金融業者などから多額の負債をかかえたため平成二年二月ころ古物商もやめ、同年七月ころには、その返済を厳しく迫られていた。なお、Dは、平成三年一〇月三日、岐阜県美濃市で首吊り自殺しているのを発見された。

被告人には、他に姉妹として、実姉F子(昭和四五年婚姻によりF姓となる。)及び実妹G子(昭和五八年婚姻によりG姓となる。)がおり、平成二年及び同三年当時、F子は滋賀県東浅井郡湖北町に、G子は福岡県鞍手郡鞍手町に居住していた。

第二  H関係の犯行

一  犯行に至る経緯

1 被告人は、平成二年七月末ころ、尿道結石を患つたため熊本県へ戻り、本籍地所在の両親のもとで静養していたが、その間、Dの債権者らが両親のもとに押しかけて来る様子を見聞きし、E子からは、同女もDとともに商売をしてきた関係で多額の債務を負担していることを知らされるとともに、その債務の返済のための金策を依頼された。なお、このころ、被告人は、G子からも、Dに金銭を融通するためにG子が借金をし、その返済に苦しんでいる旨の話を聞いていた。

Dは、このように借金により周囲に迷惑をかけていたことから、父から叱責され、被告人とともに被告人の稼働先であつた岐阜県の土木建設会社で働くように言われたこともあつて、被告人とともに、同年八月下旬ころ、熊本を出て岐阜へ向かつた。

ところが、その途中、Dは、被告人に、右土木建設会社で働く気はなく、H方を訪れるつもりであるから、以前に同家を訪れたことのある被告人に同家へ案内するように告げた。

2 H(昭和二八年一一月二日生)は、被告人及びDの実母C子の妹であるI子の長男であり、被告人らの従兄弟に当たる者であるところ、従来、その母及び弟Jとともに、H及びI子の共有である京都府城陽市《番地略》所在の居宅に居住していたが、精神病に罹り、I子及びJに暴力を振るうようになつたことから、同両名が平成二年二月ころ右居宅を出て別に住宅を定めることとなり、それ以降、Hは、右居宅に一人で住んでいた。被告人及びDは、右の事情を父母から聞いて知つていた。

3 被告人は、Dの指図に従い、平成二年八月下旬ころ、DをH方に案内したが、同人は留守であつた。

その後、Dは、自動車を準備する必要があると言い出した。被告人は不審に思い、Dに何をしようとしているのか尋ねたところ、Dは、被告人に対し、「お前は心配しなくて良い。俺の言うとおりにすれば金になる。」旨を告げたが、具体的にどのような方法で金銭を得ようとしているのかについては、明かそうとしなかつた。被告人は、たとえ違法な手段によつても、まとまつた金銭が得られるのであれば、Dと行動をともにしようと考え、Dとともに、同年八月二九日ころ、岐阜県内で自動車を貸してくれる者を探したが、借りることができなかつた。そこで、被告人及びDは、E子から自動車を借りるために熊本へ一旦戻り、同年九月一日ころ、E子から借りた自動車に乗つて、再び京都に赴いた。

4 被告人とDは、同年二日ころの午前にH方を訪れ、同人に会うことができたが、その際、Dは、Hが一人暮らしをしていること、同居宅及びその敷地は同人が単独で所有していることなどを聞き出した。被告人は、その様子を見て、Dが右不動産を狙つているのではないかと気づくに至つた。なお、真実は、右不動産は、I子とHの共有となつていたものであるが、被告人らは、後日右不動産の登記簿謄本を得た際に、初めてそのことを知つた。

その後、Dは、Hを昼食に誘い、自動車に乗せて連れ出したが、その際、Dは、被告人に対し、Hには精神に障害があるので、同人をどこか遠くに連れ出して放置すれば、直ぐには自宅に帰ることができないであろうから、その隙に右不動産を売却して金銭を得ようかと、相談を持ちかけ、ここに至つて、被告人は、Dから同不動産を狙つていることを打ち明けられた。しかし、被告人にはHの精神障害が特に重いものとは見えなかつたので、被告人が右の計画に反対し、その計画は実行されなかつた。

5 同月三日午後三時ころ、被告人は、Dに指示されて、H方近くの京都府城陽市《番地略》の工事現場において、その場にあつたスコップを盗みやすいように道路沿いに置いた。右スコップは、同日の夜ころ、Dが一人で取りに行き、前記自動車に積み込んでいた。

さらに、同月四日午前四時ころ、Hが被告人に対して頭痛がすると言つてマッサージを求めたところ、Dは、被告人に対し、うつ伏せに寝たHの両手を後ろ手にして縛り、足も縛つた上、背中を踏んでマッサージをするように告げた。Dは、Hの手足を縛る目的を明かそうとしなかつたが、被告人は、このとき、DがHを殺害するつもりであることを気づくに至つた。被告人は、Dに指示されたとおり、Hに、手足を縛ると背筋が伸びてマッサージが良く効く旨を告げた上、その手足を縛つて腰や肩を踏むようにしてマッサージをしたが、同人は、そのマッサージに満足している様子であつた。

6 同日午前八時ころ、被告人とDは、Hから用事があるので夜までの間は家から出ていくように言われ、自動車でH方から福井県敦賀市方面に向けて出かけた。

その車中において、被告人は、Dから、Hの手足を縛つてマッサージをする際に、Hの首に紐をかけて二人で首を絞めて殺害し、不動産を売却するために必要な印鑑や書類を奪い取つた上、同不動産を売却して金銭を得るという計画を打ち明けられるとともに、右計画を手伝うことを求められ、手伝えば分け前を与える旨告げられた。被告人はためらつたが、金銭欲しさからこれに応じるに至り、ここに被告人とDは右共謀を遂げた。

敦賀に到着後、被告人とDは、一旦敦賀市営宮の公衆電話からE子に電話をし、続いて同市手字木場四六番地先木場海水浴場に行き、前記の用意してあつたスコップを用いて、砂浜にHの死体を埋めるための穴を掘り、死体遺棄の準備を行つた。

7 同月五日午後八時ころ、Hは、被告人に対し、H方二階の自室でマッサージをするように求めたが、Dが、二階で殺害すると死体を移動させることが困難になるので今回は見送る旨述べたので、その時は実行を見送つた。

8 翌六日午前四時過ぎころ、Hが、DにH方から出ていくように告げた上、被告人にマッサージをするように求めた。

そこで、Dは、被告人に対し、従前に共謀したとおりにHの手足を縛つた上、目隠しするために冷えた濡れタオルを頭部に巻き、さらに、まじないのためと称してしやもじをそのタオルに挟んで頭部に立ててマッサージをすること、DはH方を出ていくように装つて一旦外に出るが、その時に手渡す紐をHの首に掛けること、掛けた紐を二人でその両端を引つ張りHの首を絞めるので、Dが持つ側はできるだけ部屋の出入口に近い所に置いておくことなど、殺害方法を説明した。

二  罪となるべき事実

被告人は、右Dと共謀の上、

1(強盗殺人)

H(当時三六歳)を殺害して、同人が住む居宅及びその敷地を他に売却して金員を得るために必要な右不動産の登記済権利証書、実印等を強取しようと企て、平成二年九月六日ころの午前五時ころ、京都府城陽市《番地略》所在の同人方の一階南西にある居間において、被告人が、マッサージを受けるためうつ伏せになつたHの手足をビニール紐で緊縛し、冷たくて気持ちが良いからと告げて濡れタオルを同人の頭部に巻いて目隠しをし、さらに、まじないのためと称してしやもじをそのタオルに挟んで頭部に立て、同人を抵抗できない状態にした上、いきなりビニール紐を同人の頚部に巻きつけ、被告人及びDがそれぞれの一端を同時に力一杯強く引つ張つて締めつけ、よつて、そのころ、同所において、Hを窒息死させて殺害した上、そのころ、右H方居宅内において、同人所有の現金約四万円を、続いて、同日午後一一時ころ、同所において、同人保管に係る実印、印鑑登録証、レーザーディスク、双眼鏡各一点及び右不動産の登記済権利証書一通(時価合計約四万五〇〇〇円相当)を強取し

2(死体遺棄)

Hを殺害した犯跡を隠蔽するため、同日ころの午前五時ころから、前記の同人方において、同人の死体をダンボール等を用いて梱包した上、これを普通乗用自動車のトランクに積み込み、同所から福井県敦賀市手字木場四六番地先木場海水浴場まで運び、同日午後七時三〇分ころから同日午後八時ころまでの間に、あらかじめ同所の砂浜に掘つて用意してあつた穴に右死体を入れて砂中に埋め、もつて右死体を遺棄し

3(詐欺)

H及びI子の共有に係る前記不動産(宅地八九・七六平方メートル、木造瓦葺二階建居宅総床面積八六・七四平方メートル)をほしいままに他に売却して、その売買代金名下に金員を騙取しようと企て、DがHになりすまして、同月一〇日ころ、京都府城陽市《番地略》所在の宅地建物取引業「甲野土地建物商事」に電話し、その経営者Kに右不動産を売りたい旨申し入れ、翌一一日ころ、右「甲野土地建物商事」において、右K及び同じく宅地建物取引業を営むLと面談し、さきに強取した右不動産の登記済権利証書を示し、「家を買つて欲しい。この家を売つた金で大阪に家を買い、母親と一緒に暮らす。母親の承諾は必ずもらつてくる。」などと虚偽の事実を申し向けて、右不動産の売却方を申し込み、右K及びLをして、H本人がその売却方を申し込んでいるものと誤信させた上、右Lを介して、Mを同様に誤信させて、同人に右Lらの仲介により右不動産を購入することを決意させ、さらに同月一三日ころ、同所において、Dが、右K及びLらに対し、前記登記済権利証書及びあらかじめ準備していたHの印鑑登録証明書を交付するなどして、右Kらを引き続き右同様に誤信させ、よつて、同日、同所において、右Kから右不動産の売買手付金名下に同人が右Mのために立て替えた現金三〇〇万円の交付を受けてこれを騙取し、次いで、同月一五日ころ、右Kに電話し、被告人がHの弟になりすまして会話するとともに、事情を知らないN子にI子になりすまさせて会話させた上、Dが、同月一八日ころ、右N子を伴つて同所に赴き、同女をI子になりすまさせて、右K及びLらと面談し、あらかじめ準備していたI子の印鑑登録証明書等を交付するなどし、右K及びLらを、H及びI子各本人が右不動産を売却しようとしているものと誤信させ、よつて、同日、同所において、右Lから右不動産の売買の残代金名下に右Mから預かつていた現金二四〇〇万円の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

第三  O子関係の犯行

一  犯行に至る経緯

1 被告人は、Dから、右第二の犯行により得た金銭合計約二七〇四万円から、最終的に約八〇七万円を分け前として得たが、七〇万円をG子に、三〇万円をE子に送金し、Dが外国車リンカーンを二五〇万円で購入するに当たつてその代金の内五〇万円を支出し、D、E子及び同女の長女P子らとともに、右外国車を使つて、平成二年九月二六日ころから同年一〇月一一日ころまでの間に、高松、高知、山梨、東京、青森、福島などを旅行して出費し、自己の趣味とする闘犬の化粧まわしに五〇万円を支出し、さらにはE子に自動車を買い与えるに当たつて七〇万円を提供するなどして、同年一一月下旬ころには、その分け前を消費し尽くし、生活に窮するようになつた。

他方、Dも、同年一二月下旬ころには、右第二の犯行により得た金銭を消費し尽くしていた。

2 そこで、平成三年二月ころ、被告人とDは、前記I子及びJが以前居住していた京都府城陽市《番地略》所在の家屋及びその敷地に目をつけ、右第二の犯行と同様の方法まで金銭を得ようかと考えたが、同月二一日にその登記簿謄本を取得したところ、右不動産が右両名の共有であることが分かつたため、一旦は右計画の実行をあきらめた。

さらには、被告人とDは、同年七月ころには、右第二の犯行後居住していた岐阜県各務原市内の借家の家賃や光熱費などの支払いに窮し、同月下旬ころ以降、滋賀県東浅井郡《番地略》所在の姉F子方に身を寄せるに至つていたが、その間、Dは、F子の夫Qが所有する同所所在の土地に目をつけ、F子夫妻を殺害して、右第二の犯行と同様の方法で金銭を得ようかと考えた。被告人は、実姉を殺害することはできないと一旦は拒否したため、Dから暴行を受けることもあつたが、被告人が同月三一日に右土地の登記簿謄本を取得したところ、同土地には抵当権が設定されていることが分かつたことから、この計画は断念された。

この他、被告人とDは、右Qの兄であるRの滋賀県長浜市内の居宅、岐阜県各務原市内の動物病院、京都府城陽市内の金糸工場及び布団店に目をつけ、それぞれの不動産につき右第二の犯行と同様の方法で金銭を得ることを考え、それらの不動産登記簿謄本を取得するなどしたが、いずれも実行するには至らなかつた。

そのうち、被告人及びDは、再び前記I子及びJの殺害計画の実行を考えるに至り、同年八月ころ、事情を知らないSに手伝わせて、右両名の死体を埋めるための穴を、京都府綴喜郡宇治田原町の山中及び福井県三方郡美浜町佐田地先の今市海水浴場の砂浜に用意し、同月三〇日に再びその不動産の登記簿謄本を取得するなどした上、同年九月初めころ、まずJを夜間にその居宅近くに呼び出して自動車で連れ出して殺害しようと試みたが、同人が被告人らの行動を不審に思い、自動車に乗らなかつたことから、実行に至らなかつた。

なお、同年八月中旬ころ、被告人は、G子から、借金の返済のために生活が苦しいことを告げられ、その後も、同女から金策を依頼する連絡が続いていた。また、E子からも、同年九月に入つたころから金策を求められていた。

3 ところで、同年九月一〇日ころ、O子から、F子を介して、被告人及びDに養子に行く者を探している旨の話が持ち込まれた。

O子(大正一四年九月二一日生)は、昭和三九年一二月にTと婚姻し、Tが昭和五四年に死亡した後は、実子がいなかつたこともあつて、実姉であるU子及びその家族を頼つて、昭和五七年ころ、愛知県江南市から右U子の住居の近くである滋賀県東浅井郡《番地略》所在の土地及び新築建物を購入して移り住み、それ以来同所において一人で居住していた者であり、F子とは住居が近いこともあつて親しく交際していた。

被告人及びDは、O子が一人暮らしであることを知つていた上、QからO子が資産家である旨を聞いたことがあつた。

右の養子縁組の話は、O子がV子の婚姻相手(婿養子)を探しているという趣旨のものであつたが、被告人及びDは、O子が同女の養子となる者を探しているのだと誤解した。そして、O子の資産に目をつけ、まず、Dが養子に行つてもよい旨答えたが、O子はDが年をとり過ぎているので不都合であるとして断つたことから、次には被告人が、同月一二日ころ、Wという架空の人物の名前を出して、その者が養子先を探している旨をF子を介してO子に伝え、さらに右Wの経歴等を告げるなどしたところ、O子は、WがV子の婚姻相手として相応しいと思うに至り、同月一七日ころには、一度Wと会つてみたいと言うようになつた。

4 被告人及びDは、O子を殺害して同女所有の右不動産を売却することを考えながらも、さしあたつて、架空の人物をO子の養子として紹介することによつてO子に取り入り、Dが外国車を購入する際にO子を保証人にさせることや、右Wを装う者を探し出してO子所有の右不動産を同女に無断で売却することをも考えていた。

被告人は、同月一三日に、一旦はO子所有の右不動産の登記簿謄本を取得しようとしたが、まずO子を保証人にして外国車を購入する計画を実行しようと考えたDに止められ、同月一七日に初めて右登記簿謄本を取得した。その後、同日から同月一九日にかけて、被告人とDは、三軒の不動産業者を訪れ、O子の息子になりすました上、O子所有の右不動産の売却を申し込んだ。ところが、その業者の中に、同月二〇日に現地を見に行くという不動産業者がおり、被告人及びDは、右業者とO子を会わせないようにする必要があつたため、Wに会わせる旨の虚偽を告げてO子を連れ出し、Wを探すかのように装つて、同月二〇日の午前から翌二一日午前一〇時ころまでの間、O子を自動車に乗せて連れ回した。

O子は、Wなる人物のことをV子に紹介したものの、Wに会うことができなかつたことから、会えなかつた事情や同人がどのような人物であるかについて、直接被告人及びDからV子に説明させようと考え、同月二一日ころの夜、被告人、D及びF子を連れて、滋賀県伊香郡西浅井町所在のV子方を訪れた。ここに至つて、被告人及びDは、O子が自己の養子となるものを探しているのではなく、V子の婚姻相手を探しているものであることに気づいたが、その場では、とりあえずWの人となりなどを適当に話した。なお、その際、WとV子の見合いを同月二三日に行うことが決められた。

右のとおりO子自身の養子を探しているのでないことが分かつたことから、被告人は、同月二一日夜、Dに対し、この上はO子を殺害して同女所有の不動産を売却しようと話を持ちかけたが、Dに、もう少し待つように告げられた。

ところで、被告人とDは、再びO子にWと会うことを失敗させて二三日の見合いをあきらめさせようと考え、DがWになりすましてO子に電話し、同女から自動車で送るよう依頼されることを予想した上で、岐阜県各務原市内の公園で同日夜に会いたい旨を告げ、よつて同日午後七時ころO子を連れ出し、Wと待ち合わせするかのように装つた。そして、Wの都合で会えないことにして、その帰る途中で道に迷つた上、同県不破郡関ケ原町大字玉字寒谷一一一六番地の四先の山道で自動車が故障したこともあり、翌二三日午前一〇時ころO子を帰宅させた。

5 同日午後一時過ぎころ、被告人とDが、滋賀県東浅井郡びわ町大字曽根所在の駐車場内に駐車中の自動車内で休んでいる際に、後部座席に座つていたDが助手席に座つていた被告人の首を絞めるようにシートベルトを引つ張り「シートベルトで絞まるか」などと言つた。被告人は、DがいよいよO子を殺害してその所有する不動産を売却し金銭を得るつもりになつたと思い、Dとともに、助手席に座つている者の首を絞めて殺害する方法をいろいろと試したが、結局、助手席背もたれ上部の枕(ヘッドレスト)を取りはずして、後側から紐を首に巻いて絞めて殺害することとした。

続いて、翌二四日、DがWになりすましてO子に電話をし、翌二五日午後九時ころに岐阜県各務原市内の公園で会いたい旨を告げて、O子を連れ出す用意をし、また、被告人とDは、同二四日夜には、死体を梱包するための電気こたつ用布団カバー、ビニール紐、ガムテープなどをF子方で用意して自動車に積み込み、また、翌二五日午前三時ころ、滋賀県伊香郡高月町井口所在の製糸工場から死体梱包用のダンボールを盗み出して、自動車に載せた。

さらには、被告人とDは、同月二四日夜、F子方二階において、O子の殺害方法及び殺害場所として、電気こたつ付属のコードを二本用意して被告人及びDが一本ずつを持つこと、Dが運転する自動車の助手席にO子を乗せて連れ出した後、自動車が同県東浅井郡湖北町大字郡上字笠崎三三二番地の二所在の北陸自動車道ガード下を通過するころに、後部座席に乗車する被告人がO子の首を右電気コードで絞めつけて殺害すること、被告人が殺害に失敗した場合には、Dが、前記の以前に自動車が故障した場所である岐阜県不破郡関ケ原町大字玉字寒谷一一一六番地の四先の山道で、O子の首を絞めつけることを話し合い、ここに右共謀を遂げた。

6 被告人及びDは、F子が怪しまないようにする必要があると相談し、同月二五日午前ころ、DがWになりすましてF子に電話をし、その日O子と会う予定である旨話した。そして、あらかじめ自動車の助手席のヘッドレストを取り外した上、同日午後七時ころ、Dが自動車を運転し、被告人が後部座席に乗車して、O子方に迎えに行つて同女を乗車させ、あたかもWに会わせるかのように装つてO子宅を出発した。

二  罪となるべき事実

被告人は、右Dと共謀の上、

1(強盗殺人)

O子(当時六六歳)を殺害して、同女の金品及び同女名義の不動産を他に売却して金員を得るために必要な登記済権利証書、実印等を強取しようと企て、平成三年九月二五日午後七時一〇分ころ、滋賀県東浅井郡湖北町大字郡上字笠崎三三二番地の二付近道路を走行中の普通乗用自動車内において、被告人が同車助手席に乗車中の同女の背後からその頚部に所携の電気コードを巻きつけて、その両端を引つ張つて絞めつけ、よつて、そのころ、同所付近において、同女を右絞頚により窒息死させて殺害した上、同車内において同女所有の現金約一万二四〇〇円及びがま口など合計約一一点(時価合計約八八〇〇円相当)を、続いて、翌二六日午前二時ころ、同町《番地略》所在の同女方において、同女所有の現金約一六万三〇〇〇円及び登記済権利証書、実印、印鑑登録証、貯金通帳など合計約四一点(時価合計約六万六八〇〇円相当)を強取し

2(死体遺棄)

O子を殺害した犯跡を隠蔽するため、同日午後八時ころから午後九時ころまでの間、岐阜県不破郡関ケ原町大字玉字寒谷一一一六番地の四付近山道において、同女の死体をダンボール、こたつ掛布団カバー等を用いて梱包した上、これを普通乗用自動車のトランクに積んで、同所から福井県三方郡美浜町大字佐田地先今市海水浴場まで運び、同日午後一一時ころから翌二六日午前零時ころまでの間に、同所の砂浜に穴を掘り、右死体を入れて砂中に埋め、もつて同死体を遺棄し

たものである。

第四(窃盗)

被告人は、右Dと共謀の上、平成三年八月二四日ころの午前二時一〇分ころ、愛知県江南市《番地略》所在のX方犬舎から、同人所有の土佐犬一頭(時価約五〇万円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目)《略》

(事実認定の補足説明)

一  被告人は、当公判廷において、判示第二の二1及び判示第三の二1の強盗殺人の両事実について、Dと共謀した事実は認めるが、直接殺害行為を行つたのはDであり、被告人が直接殺害行為を行つた事実はない旨主張するので、まず、この点について判断する。

1  判示第二の二1(Hに対する強盗殺人)について

(一) 被告人は、当公判廷において、Hの殺害方法について、被告人がHをうつ伏せにしてマッサージをしている際に、そのすぐ近くにいたDからロープを見せられて「引つかけろ」とHの首を絞めるように告げられたが、被告人がこれを断つたところ、Dが自らHの首にロープをかけてその首を絞めつけて、Hを殺害した旨供述する(第七回、第一五回公判期日)。

しかし、Hのすぐ近くでその殺害方法について右のような謀議をしたとすれば、その内容がHに聞き取られる可能性が高く、たとえHが手足を緊縛されていたとしても、その抵抗に会うことが充分に予想されるところであるから、右供述には不自然なところがある上、DがHの首を絞めた状況について具体的な供述がされているとは認められない。

(二) 他方、被告人は、捜査段階においては、判示第二の一8及び二1記載のとおりに供述しているのであるが、被告人がHの殺害や死体遺棄について自供したのは、これらの事件について取調べが開始された平成三年一一月六日その当日であるが、当初から起訴に至るまで供述内容は一貫しており(証人Y、同Z)、しかも、被告人の供述した死体遺棄場所からHの死体が発見されたのであるから(甲三九〇ないし三九三、乙三四)、秘密の暴露が含まれていたということができる。Hの殺害方法に関する供述についても、Dが引つ張つた側のビニール紐の長さが被告人が引つ張つた側のその長さより長いこと、Dが右足をHの首にかけた上でそのビニール紐を強く引つ張つたことなどが、被告人自身が描写した絵とともに具体的、かつ、詳細に述べられている上に、関係各証拠によれば、右の供述内容は、被告人に犯行現場で犯行状況を再現させる以前にされているにもかかわらず、犯行現場の状況と合致している(甲五七八、乙四三、五三)。以上によれば、捜査段階での右供述には、高い信用性があると解するのが相当である。また、判示第三の一1のとおり、被告人は、Dから、H関係の犯行の結果得られた金銭から、少なからぬ分け前を得ているのであり、このことも被告人がH殺害に直接関与したことの裏付けになると考えられる。

(三) この点につき、弁護人は、判示第二の二1記載のように被告人及びHがそれぞれビニール紐の一端を同時に引くという方法では、マッサージのためにHの体の上に乗つている被告人が一旦下に降りることになり、Hの体が押さえ付けられていない状態で殺害行為がされることになるから、このように殺害の実行が困難になる方法を採ることは不自然である旨主張する。

しかし、殺害当時にHは目隠しをされており、被告人らの行動が察知できる状態ではなかつたのであるから、一旦Hの体が押さえ付けられていない状態になつたとしても、そのことのために殺害の実行が困難になつたとまで認めることはできないこと、また、二人の力を合わせて首を絞めつけることによつて、より強くHの首を絞めつけることができるのであり、これにより殺害実行が容易になるという面もあることを考えれば、右の供述を不自然と言うことはできない。

従つて、右の点の被告人及び弁護人の主張は理由がない。

2  判示第三の二1(O子に対する強盗殺人)について

(一) 被告人は、当公判廷において、O子の殺害方法について、O子を自動車の助手席に乗せて連れ出し、運転席で運転中であつたDが、その左腕の肘でO子を殴りつけた後、山中で自動車を止め、被告人が車外に出ている間にDが単独でO子を殺害したものであり、被告人は、自動車が揺れているのを見ただけであり、車内での具体的な犯行態様を目撃してはいない旨供述する(第八回公判期日)。

しかし、関係各証拠によれば、発見されたO子の死体の頚部に巻きつけられていた電気コードは、O子の後頚部右側で結束されており、O子の後側にいた者がその首を絞めつけたものと認めるのが自然であるところ(甲二五、三〇、三三)、被告人の右供述によれば、O子の真右側である運転席にいたDがその首を絞めつけたことになるが、そうすると右電気コードの結束位置との関係ではなはだ不自然であるばかりか、O子の死体には、頂頚部の絞痕の他には特に傷害がなく、Dが左腕の肘でO子を攻撃した形跡が認められず(甲二五、三〇、三二、三三)、被告人の右供述内容とは符合しない点がある。

その上、被告人は、同じ第八回公判期日において、Dから左腕の肘で殴打されたことによりO子が気絶したか否かの問いに対して、被告人はそのときは車内で寝ていたので分からない旨供述し、そもそもDが左腕でO子を攻撃したことを目撃したことと矛盾する供述をしている。また、被告人は、第一五回公判期日においては、警察で最初に自白した供述内容が真実であると述べつつ、その内容についてはつきり今覚えていないと弁解する。

以上のようなO子の死体及び頚部の電気コードの客観的状況や被告人の供述態度を考慮すると、右の被告人の供述を信用することはできない。

(二) 他方、被告人は、犯行態様について、捜査段階においては、判示第三の一5及び二1記載のとおりに供述しているところ、同供述については、O子の後側に座つていた被告人が首を絞めたというその供述内容と、前述した電気コードが結束された位置とが良く符合する上、関係各証拠によれば、犯行に供された自動車の運転席のヘッドレストが前後逆に付けられており(甲四四)、右自動車のヘッドレストに作為が加えられたことが窺われること、判示第三の一4のとおり平成三年九月二〇日ころO子を自動車に乗せて連れ回した際に、O子が自動車の助手席に座つていたことをガソリンスタンドマンらに目撃されており(甲二四三ないし二四五)、この事実は、O子が助手席に乗ることを前提に計画を立て、あらかじめ右自動車のヘッドレストを抜き取つた旨の捜査段階の右供述と合致することが認められる。

また、本件犯行についての捜査の経緯を見るに、関係各証拠によれば、被告人に犯行現場で犯行状況を再現させる以前に、被告人はヘッドレストをあらかじめ抜き取つておくことが計画されていた旨供述していたことが認められ(甲二九八、乙八ないし一一)、実際に犯行を再現してみて初めてヘッドレストが犯行に際して障害になることに気づいたものとは解されない上に、捜査関係者がヘッドレストが障害になることを被告人に対して積極的に指摘したと窺うに足りる事情もないから、右の供述は犯行を直接体験した者が自発的にしたものと認めることができる。

その上、被告人は、平成三年一〇月一日になつて初めてO子の殺害を認めたのであるが、当初の供述内容は、「DがO子を車外に誘い出し、後ろから首を絞め、被告人が前から首を絞めた。」というものであり、死体の遺棄場所については、木曽川周辺、長良川下流周辺、日光川周辺、庄内川周辺などと転々と供述を変えていたが、同月六日にようやく真実の遺棄場所が福井県三方郡美浜町内の海水浴場である旨を供述し(証人Y、甲二二、乙四、七一)、これに基づいてO子の死体が発見され(甲二四)、これと同時に判示第三の一5及び二1記載のとおり、被告人自身が車内でO子を電気コードで絞頚して殺害した旨の供述を始め、以後は第三回公判期日に至るまで、供述内容の大筋に変遷がなかつたこと(証人Y)が認められる。このような右供述に至つた経緯の面を考慮することによつても、捜査段階における右供述が信用に値すると言うことができる。

なお、右の捜査段階の供述がされる経緯に関連して、被告人は、当公判廷において、逮捕された直後、意図的に死体遺棄現場について虚偽の供述をしたものではなく、捜査関係者が被告人の供述を良く聞くこともなく死体遺棄現場を決めつけたに過ぎない旨の供述をする(第一四回公判期日)。しかし、当時の捜査機関にとつては、既にDは自殺しているのであるから、O子の死体を発見するためには被告人の供述に基づいて捜査をする以外に方法がなかつたと認められる上、判示第三の一3のとおり、被告人は死体遺棄現場である今市海水浴場にはD及びSとともに犯行時以前に行つたことがあり、しかもそれが昼間であつたこと(被告人の第一五回公判期日における供述、甲二三二)、被告人が美浜町の砂浜に死体を埋めた旨供述した翌日には、被告人の指示した地点からO子の死体が発見されていること(甲二四、乙二)からすると、被告人は死体遺棄現場を相当詳細に記憶していたことが認められ、右の被告人の供述は信用できない。

(三) 右の点につき、弁護人は、事前にヘッドレストを除去すれば、O子に怪しまれる可能性があること、走行中の自動車の中で殺害することは、被害者の抵抗などにより危険を伴う可能性があり、そのような殺害方法は不自然である旨主張する。しかし、乗車する際にヘッドレストの有無に気を配ることは、通常あまり考えられないことや、関係各証拠によれば、判示第三の一5のとおり、被告人及びDは、平成三年九月二三日ころ、走行中の自動車内において殺害することを前提に、O子を殺害する方法をいろいろと試して、確実な殺害方法を選んでいることが認められ(甲二九五、乙一〇、二六)、これらのことを考慮すれば、走行中の自動車内において殺害する方法が不自然であると言うことはできない。

(四) ところで、Dは、自殺する直前、その親族などに電話をし、自殺する旨を述べるとともにO子の殺害を告白しているが、その際、被告人が後ろからO子の首にロープをかけて絞め殺したこと、自分は直接手をかけていないことなどを述べているが(甲一八四、一八六、一九四、二〇五、二〇七、二一二)、Dの右供述は、自殺することを決意した後にされたものであり、特に信用すべき情況の下でされているものであつて、被告人が直接殺害行為を実行したという直接証拠でもあり、同証拠によつても、これに反する被告人の弁解は到底信用することができない。

従つて、右の点の被告人及び弁護人の主張も理由がない。

3  なお、被告人は、公判廷において、捜査段階においてされた判示記載の内容のとおりの供述は、Dの指示によりDをかばうために行つた虚偽のものである旨供述する。しかし、仮にDをかばうためにDの指示に従つたというのであれば、捜査段階の当初からその指示どおりの供述をするのが自然であるにもかかわらず、右2(二)記載のとおり、被告人は、捜査段階の当初の供述から変遷した後、判示記載の供述内容に至つたものであることからすると、右の被告人の弁解を信用することはできない。

また、被告人は、当公判廷において、捜査関係者から暴行を受け、又は、バナナなどの食物の提供を受けて、言い分を聞いてもらえないまま、虚偽の事実を調書に記載された旨弁解するが、捜査関係者から暴行を受けたことを窺える事情が全く見当たらない上、ある程度の食物の提供があつても、そのことによつて、本件のような重大犯罪の被疑者が供述調書に虚偽を記載されることを容認するなどということは通常あり得ないと思われ、右の被告人の弁解を採用することはできない。

二  次に、被告人は、E子が判示第二の二及び第三の二の各犯行に関与した旨主張するので、この点について検討する。

1  判示第二の二(H関係の犯行)について

(一) 被告人は、E子はHを殺害した現場におり、その犯行を目撃している旨供述する(第一一回公判期日)。

しかし、被告人は、第一〇回公判期日においては、E子はH殺害現場にいなかつた旨明確に供述しており、右期日においてE子をかばわなければならない事情は見当たらない。また、被告人は、第六回公判期日において、判示第二の一6記載のとおり、平成二年九月四日ころ敦賀市内の公衆電話からE子に電話をした旨供述し、右事実は捜査段階から一貫していたが(乙四三、五三)、第一一回公判期日では、平成二年九月四日にE子とともに敦賀市内に行つた旨供述したものの、供述内容の矛盾を指摘されるや、Dの電話先については知らないと供述を翻した。

また、関係各証拠によれば、H方の周辺において、被告人及びDを見かけた者はいるが、E子らしい人物を見かけた者はいないこと(甲五一三、五一四)、被告人は、公判廷において、E子が下着をH方に置き忘れた旨供述するが(第一四回公判期日)、H方において女性用の下着は発見されていないこと(甲五九一)が、それぞれ認められる。さらには、E子の長女P子は、E子は平成二年八月又は九月ころに家を空けたことはない旨供述している(証人P子)。

以上の事情を総合すれば、E子がHを殺害した現場にいた旨の被告人の供述は、信用することができない。

(二) 次に、被告人は、公判廷において、E子から、本件の殺害行為を唆された旨供述するので、この点について検討する。

(1) 被告人は、前述のとおり、平成二年九月四日ころ敦賀市内の公衆電話においてE子と話をした際に、E子から、人間の一人や二人殺害できないでどうするのかなどと言われて、H殺害を唆された旨供述し(第六回公判期日)、また、DもE子から犯行を唆されていたものである旨供述する(第一〇回公判期日)。

なるほど、関係各証拠によれば、判示第二の一1のとおり、E子から金策を依頼された事実が認められ、右事実がH関係の犯行の動機の一因となつていることが認められる上、判示第三の一1のとおり、右犯行によつて得た金銭から、E子に対して送金したのみならず、ともに旅行までしていることが認められる。

しかし、右の敦賀市内の公衆電話におけるE子との会話内容について、被告人は、捜査段階においては、早く金銭を用意するように強く催促された旨供述していたものであるが(乙四三、五三)、被告人にとつてE子は兄Dの内妻であるに過ぎないのであり、E子を特にかばわなければならない事情があるものとは認められないから、捜査段階において虚偽の供述をするべき合理的な事情があるとは解されない。他方、E子は、公判廷において、積極的に金策を依頼したことはない旨供述するが、関係各証拠によれば、同女は捜査段階においては、平成二年七月ころに多額の債務を負い困つている旨を被告人に告げ、必死に金策を依頼した旨供述していること、同年九月ころ当時にDや被告人からよく電話がかかつてきた旨の供述が、捜査段階から一貫していることが認められる(甲四八七)。以上の事情を考慮すれば、E子が右電話での会話において、被告人に金策を依頼する旨の話が出た可能性が否定できないのであつて、右の点の被告人の捜査段階の供述は真実に副うものと考えられる。

また、E子は、H関係の犯行がされた直後に、被告人らから送金を受け、また、旅行に連れていつてもらつた旨を、平成三年一〇月一五日に既に供述しているところ(甲二一一)、右の供述当時には、H関係の犯罪によつて得られた金銭の使途についてまで捜査が進んでいたとは認められず(甲三〇二)、そのような時期に、E子が、右のような自己が怪しまれかねないような事実について供述したことは、送金を受けたことや旅行に連れられたことが重大犯罪と関連するものとは考えていなかつたことの証左であると考えられる。

以上の事情を考慮すれば、E子が被告人に対して強く金策を依頼したことがあり、そのことが、本件犯行の動機の一因となつたことが認められるものの、E子が本件犯行を唆した事実は認められない。

(2) なお、被告人は、公判廷において、Hの死体を埋めるために用いたスコップは、平成二年九月一日ころ、E子の自動車を借りて熊本を出発した当時から右自動車内に用意されていた旨、E子の犯行への関与を窺わせるような供述をする。

しかし、被告人は、捜査段階において、判示第二の一5記載のとおりに、スコップの入手方法を供述しており(乙四二、五三)、しかも、関係各証拠によれば、その入手先である工事現場において、当時、スコップが無くなつたことが認められるから(甲四二〇、五〇九)、右の被告人の公判廷における供述を信用することはできない。

2  判示第三の二(O子関係の犯行)について

被告人は、公判廷において、E子がO子方を訪れたことがある旨や、O子関係の犯行直前にE子が何回も電話をかけてきた上、最低五〇〇万円を都合するように告げてきた旨など、E子がO子関係の犯行について関与していたことを窺わせる事情を供述する(第七回、第一〇回及び一一回公判期日)。

しかし、関係各証拠によれば、O子関係の犯行の後である平成三年一〇月二日の夜、自殺を決意したDが熊本県の実父母方に電話をした際、実弟である被告人の犯行については告げているものの、E子が犯行に加担した旨の話を全くしていないこと(甲一八四、一八六、一九四、二〇五、二〇七、二一二)、前述1で判断したとおり、E子の犯行への関与の点についての被告人の公判廷における供述については、その信用性に疑問があることからすると、右の被告人の供述を採用することはできない。

従つて、被告人の右E子に関する主張はいずれも理由がない。

三  被告人は、公判廷において、Dから暴行、脅迫等を受けたために、やむを得ず本件犯行に加担したものである旨供述するので(第六回、七回、一〇回、一四回公判期日)、次にこの点について検討する。

1  判示第二の二(H関係の犯行)について

被告人は、公判廷において、平成二年八月下旬ころDが自動車を準備しようとした際に、Dから暴行、脅迫等を受けて、やむを得ずDと行動をともにした旨を(第六回公判期日)、また、Hを殺害した際に、被告人がマッサージのためと称してHの手足を緊縛した直前に、Dから、Hの手をくくらなければ被告人を殺害する旨脅かされて、やむを得ずHの手を緊縛した旨を(第六回、第七回公判期日)それぞれ供述する。

しかし、判示第三の一1で認定したように、被告人がH関係の犯行により得た金銭から少なからぬ分け前を得ていること、関係各証拠によれば、判示第三の二3の犯行に関連して、被告人は、I子の印鑑証明書を入手するために、同女の住民登録を大阪市西成区内に異動する手続きをした上でその印鑑証明書を取得し、また、DがH本人である旨誤信させるために、I子の息子になりすましてK方に電話をするなどしており(甲三六七、三六八、四九二、四九三、乙五九、六〇、七〇)、これらの事実を考慮すると、被告人は本件犯行に積極的に関与していることが認められる。

また、被告人は、捜査段階において、少年のころを除くと、Dから暴行を受けたことは四回しかなく、それぞれ、〈1〉被告人が飼育していた闘犬をDが無断で売却したことから喧嘩となつたとき、〈2〉H関係の犯行により得た金銭で旅行した際に、被告人が立て替えた費用をDに求めたところ喧嘩になつたとき、〈3〉Dに黙つてE子から借金をしたために、Dから首を絞められたとき、〈4〉判示第三の一2のとおり、F子夫婦を殺害する計画をDから持ちかけられたときに、被告人が実姉を殺害することに反対したことから、Dから首を絞められたときであり、H殺害およびO子殺害に関してDから暴行を受けたことはない旨供述する(乙六五)。そして、右供述は、被告人がDの自殺を知らされた後にされており(被告人の第一四回公判期日における供述、乙七一)、当時Dをかばうべき事情は全くないから、信用に値すると考えられる。

さらに、被告人は、捜査段階において、判示第二の一3及び6のとおり、平成二年八月下旬ころDが自動車を用意しようとした際、Dから「俺の言うとおりにすれば金になる」旨を告げられて、金銭欲しさにDと行動をともにしようと考えた旨を(乙四一、五二)、また、DからH関係の犯行計画を打ち明けられた際も、マッサージをさせられるなどのためにHを生意気だと考えていたことや、E子やG子から金策を依頼されていたことから、金欲しさに手伝うことに決めた旨(乙四三、五三)を、それぞれ供述しており、捜査段階の供述においては、本件犯行に及ぶに際してDから暴行を受けた事実はない点で一貫していることが認められる。

以上の事情を考慮すると、被告人の公判廷における右供述を信用することはできず、被告人がDから暴行を受けてやむを得ず犯行に加担したと認めることはできない。被告人は、金銭欲しさに、自発的にDが持ちかけたH殺害計画に加わつたものと認めるのが相当である。

2  判示第三の二(O子関係の犯行)について

被告人は、公判廷において、本件犯行に関連して、O子を殺害するために連れ出そうとした際、及び、Dが被告人にO子をWに会わせなくてはならない旨述べた際に、被告人がDに行動を共にすることを拒否する旨告げたところ、Dから暴行を受けた旨を供述する(第一〇回公判期日)。

しかし、前述したとおり、O子の殺害については、直接の殺害行為は被告人が一人で行つていることのほか、関係各証拠によれば、判示第三の一4のとおり、O子に対する強盗殺人を企図して、被告人が平成三年九月一三日にO子の自宅の登記簿謄本を取得しようとした際に、Dが一旦それを止めたこと(甲五七、乙九、二五、被告人の第七回公判期日における供述)、判示第三の一4のとおり、被告人が、Dとともに、O子の自宅を売却するために不動産業者を訪れた際や、同月二一日ころV子方を訪れた際には、Dよりもむしろ被告人が積極的に対応したこと(甲二一六、二一八、二一九、二二八)が、それぞれ認められる。また、関係各証拠によれば、判示第三の一2記載のとおり、死体を埋めるための穴を掘るに際して、Sに手伝わせたときにも、Dよりもむしろ被告人がSに対して積極的に働きかけたことが認められ(甲二二七、二三二)、このことから、O子殺害の当時には、被告人が不動産の所有者を殺害して金銭を得るという犯行を積極的に企図していたことが充分に窺われる。

さらには、被告人は、捜査段階において、右1で前述したとおり、H殺害及びO子殺害に関してDから暴行を受けたことはない旨供述しており(乙六五)、右供述が信用に値する上に、同じく捜査段階において、平成三年九月二一日夜に被告人からDにO子殺害の計画を持ち出していることを供述しており(乙一〇、二五、二六)、捜査段階においては、本件犯行に及ぶに際してDから暴行を受けた事実はない点で一貫していることが認められる。

以上の事情を考慮すると、被告人の公判廷における右供述を信用することはできず、被告人がDから暴行を受けてやむを得ず犯行に加担したと認めることはできない。被告人は、金銭欲しさに、Dよりも積極的にO子殺害を企図し、かつ、実行したものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第二の二1及び判示第三の二1の各所為はいずれも刑法六〇条、二四〇条後段に、判示第二の二2及び判示第三の二2の各所為はいずれも同法六〇条、一九〇条に、判示第二の二3の所為は一括して同法六〇条、二四六条一項に、判示第四の所為は同法六〇条、二三五条にそれぞれ該当するところ、被告人の判示第二の二1及び判示第三の二1の各罪について所定刑中いずれも死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の重い判示第三の二1の罪の刑で処断し他の刑を科さないこととして、被告人を死刑に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  まず、弁護人は、死刑は憲法に違反する疑いがある旨指摘する。

しかし、死刑はいわゆる残虐な刑罰に当たるものではなく、死刑を定めた刑法の規定が憲法に違反するものではないと解するのが相当である。もつとも、死刑は、被告人の生命そのものを奪い取る極刑であることにかんがみると、その犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科などの情状を総合して考察したとき、その罪責がまことに重大であつて、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に限つて、死刑の選択が許されるものと考える(最高裁判所第二小法廷昭和五八年七月八日判決・刑集三七巻六号六〇九頁)。

二1  本件は、判示のとおり、被告人が、実兄であるDと共謀の上、金銭欲しさから、不動産の所有者を殺害してその登記済権利証書や実印を奪い取り、その不動産を他に売却して金銭を得ようと企て、従兄弟に当たるHを殺害し、その目的どおりに大金を得たが、その金銭を使い果たすと、すぐさま同様の計画を立て、O子を殺害するに至つたというものであり、金銭のために二名の生命を奪い取つたその結果は極めて重大である。

2  被告人の犯行態様を見るに、H関係の犯行については、Dがその計画を立て、被告人はその計画実行に加担したものであり、被告人が主犯格であると解することはできないが、既に判断したとおり、被告人は、Dとともにではあるが自らの手で直接に殺害行為を行つており、詐欺についても相当強い関与をしている。また、O子殺害については、被告人が一人で直接の殺害行為を行つており、しかも、既に判断したとおり、ここでは、被告人は、Dよりも犯行に積極的であつた事実が認められる。このように、被告人の本件犯行に対する寄与がDに比べてとりたてて低いと解することはできない。

しかも、その犯行態様は、いずれの犯行においても一気に首を絞めつけて殺害した上、その死体をダンボール等を用いて梱包して砂浜に埋めており、その殺害方法、死体遺棄方法とも冷酷であり、被害者らの無念さや、その遺族らの悲嘆、憤りは察するに余りある。

3  本件犯行は、いずれも、判示のとおり、金銭欲しさにされた計画的な犯行である。のみならず、被告人及びDは、O子殺害に至るまでの間にも同様の犯行を企図し、叔母に当たるI子及び従兄弟に当たるJの殺害を計画し、自己の実姉に当たるF子夫婦の殺害や、その他にも各地の不動産に目をつけてその所有者の殺害を考えていたのであつて、金銭欲しさに思いつくままに不動産を狙い、誰彼なしにその所有者を殺害することを計画していたものであつて、このような本件犯行に至る経緯にかんがみると、その犯情は極めて重いと言わざるを得ない。

また、被告人らによつて殺害された本件の被害者は、被告人およびDに対して何らの落ち度も認められない者である上、いずれも一人暮らしであり、Hについては精神病に罹り、O子については既に六六歳であるなど、身を守る術の乏しい者であつたことが窺える。

このような被害者らに対して計画的に本件犯行に及んだことにかんがみると、被告人の自己中心的で冷酷、非情な性格が窺われるのみならず、被告人には人命尊重の規範意識が全く欠如していると言わざるを得ず、その反規範的な人格態度は厳しく非難されるべきであると考えられる。

4  本件犯行の動機については、Dが暴力団関係の金融業者から借金をし、しかも、Dの内妻E子や妹G子が、Dから請われるままに金銭を融通するために借金を重ねたことに端を発し、被告人及びDが右両名から金策を依頼されていたことがその動機の一因となつていたことが認められるが、そもそも、本件犯行の重大さを考慮すれば、このような事情をもつてしては被告人に酌量の余地はないと考えられる上、被告人は、右の金策を依頼されていた金銭を得るためのみならず、自己の趣味である闘犬のために使う金銭などをも得たいがために、H殺害の計画の実行に加わつたものであるから、この点で、被告人に同情すべき事情はない。

ただ、本件犯行に至る契機について考察するに、被告人がDと行動をともにせず、又は、DからH関係の犯行に加わるように求められなければ、被告人が自ら本件のような犯行を計画し、それを実行することはなかつたように思われる。しかし、既に判断したとおり、Dから求められるまま、金銭欲しさにH関係の犯行に加わつたこと、その犯行により得た大金を遊興費等に使い果たすと、直ぐさま同様の犯行を計画し、O子関係の犯行に及んだこと、O子殺害については、被告人が積極的にDに話を持ちかけたことがあることなどの事情を考慮すると、O子関係の犯行についてはもとより、H関係の犯行についても、被告人に同情する余地はない。むしろ、被告人のO子関係の犯行における行動を見るに、被告人の極めて自己中心的で冷酷、非情な人格や人命尊重の意識の欠如を矯正することははなはだ困難であると考えざるを得ない。

5  また、本件犯行について、詐欺の被害者に対する弁償はもとより、強盗殺人の各被害者の遺族に対して慰謝の措置がされておらず、遺族らはそろつて被告人を極刑に処することを求めていること、当審における供述態度に照らして、被告人に改悛の情が顕著に窺われないこと、右各犯行が被害者の近隣や社会全体に強い衝撃をもたらしたことも考慮しなければならない。

6  さらに、本件犯行は、一人暮らしの不動産所有権を殺害し、その本人や親族になりすまして不動産を売却し、法外な利益を得るという特異な手口の事犯であり、近年の各家族化の進行や不動産の高価格に伴い、今後このような手口の犯罪の増加が憂慮されるところである。従つて、一般予防の見地からも、本件を厳しく処断することにより、社会への警鐘とする必要が高いというべきである。

7  以上の事情をかんがみると、被告人には、昭和五〇年に暴行罪により罰金刑に、また昭和五八年に恐喝罪により懲役一〇月、三年間執行猶予に処せられた各前科があるのみで、重大犯罪と評価し得るような前科がないこと、被告人は必ずしも恵まれた家庭環境の下で成育したものでないこと、成育後も一度の結婚歴もなく、家庭生活に恵まれていたと言いがたいこと、若干の身体的障害を有していること、前述のとおり、少なくともH関係の犯行については、被告人が計画したものでないことなど、被告人に有利な情状を考慮しても、なお、被告人の罪責は極めて重大であつて、極刑をもつて罪を償わせるほかはないと考えた次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土井仁臣 裁判官 坪井祐子 裁判官 川畑正文)

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